こんにちはkazukumaです
東京都内に自治体が保存している古民家はいくつあると思いますか?
実は9区11棟しかありません
今回ご紹介する旧粕谷家住宅は実に平成19年くらいまで実際に住まわれていた住宅です
まさに信じられないって感じです
外観はこんな感じです
一般公開は平成29年、2017年ですからつい最近ですね
その平成27年から平成29年にかけての解体、復元工事の際に建物の一番柱から建築年月日を示す墨書銘が発見されました
当然、当時の大工の棟梁の名前、建築年月日が一番柱のホゾの部分から現れました
なんと、享保8年(1723年)2月3日とかかれてました
まさにタイムスリップ
およそ300年前の建築物なのです
では、前置きはさておき
東京の古民家をこれから紹介していきます
歴史
享保8年は江戸時代中期で当時の将軍は、8代将軍徳川吉宗
いわゆる、暴れん坊将軍です
享保の改革を行った将軍で当時破綻確実な幕府を緊縮財政を行い財政の復興を完成させたが、一方では年貢率を引き上げられた農民からの反発があり、各地で百姓一揆を招くなど混乱が生じた時代です
その結果、景気は悪化して文化が停滞するという事態になりました
当時この地は、徳丸脇村と言われてました
その徳丸脇村の名主の粕谷浅右衛門が家督を長男に譲り隠居のために建てられたのが、今回ご紹介する『旧粕谷家住宅』です
その後
代々、引き継がれ守り継がれ現在に至り、9代目により板橋区に寄与されたのです
その後場所を移転することなく現在も建築当初の位置にあり、その場で復元工事を行い調査の結果建築年月日がわかりました
左側が一番柱のホゾの部分
さまざまな物が発見されました
当時の歴史、文化を知る上で新たな確かなものが我々に伝えられています
この発掘調査の結果、平成29年『旧粕谷家住宅』は東京都指定有形文化財になり一般公開になりました
所在地
東京都板橋区徳丸7丁目11番1号
享保8年当時は周りが畑でこの建物を囲むように寺や神社が数件立っていて、徳丸脇村の中心に位置してました
内部
ご覧下さい
かまどです
この形になったのはいつからかわかりませんが、電気、ガスなどの生活インフラが整備される前までには元気に使われたみたいです
そして
いろり
囲炉裏とも言います
このスペースが食べる場所と認識できます
このように、かまど、いろりがある住宅は当時では数が少なく、いわゆる裕福な生活を営んでいたことがわかります
今で言うリビング
この柱の太さがすごいですね
約300年倒れずに支えていたんです
畳の寸法は当時のまま、面の張り替えだけだそうです
天井の梁
考えられますか?これ?
一本の木をそのまま使っているんですよ
外観
入り口前の説明
東京都指定有形文化財の説明文
板橋区景観重要建造物の説明
入り口
一般公開について
公開時間
- 午前9時30分から午後3時30分
休館日
- 月曜日(祝日の場合は翌日)
- 年末年始(12月29日から1月3日まで)
所在地
- 東京都板橋区徳丸7丁目11番1号
まとめ
実際に300年前の建物があることに驚きました
300年前の出来事を調べていくうちに確かにこの建物は存在していた
その存在していた建物を見て、感じて、触れられることに不思議な感じになりました
やはり、このような歴史的建造物はこの先の未来に残さないといけない
この旧粕谷家住宅の近くに東京大仏がありますのでお時間があれば見に行ってはいかがですか?
子供のころ
何もわからずに先祖の墓に手を合わせたことの意味を改めてわかった感じがした
今、私たちが生きてることは、確かに紛れもなく、どの時代もご先祖様は生きていた
そのDNAが引き継がれ現在の私たちの身体に宿っている
まさに感謝しかない